『霧島志乃は音で愛を語る』 お気に入り画像登録
『霧島志乃は音で愛を語る』

登録 タグ *霧島志乃 *万年筆 *音フェチ
編集を行うにはログインしてください

投稿日時
2025-06-16 18:45:41

投稿者
プロフィール画像
斎賀久遠

このユーザのマイページへ

お気に入りユーザ登録
投稿者コメント
第10話:「霧島志乃、授業中の幸福論」

三限目の教室。
時計の針は、じんわりと90分目の終わりへ向かっていた。
外から淡い陽光が差し込み、窓際にたゆたう緑の影。
席の下で、俺の鞄が微かに不安げに揺れている。

室内は重厚な静寂に包まれ、空気そのものが揺るがない。
チョークが黒板を滑り落ちる「カリリ」という音。
誰かのページ捲る音──紙が、乾いた海のさざ波のように響く。
万年筆インクが染み込む音はまだだけど、霧島志乃がすかさず記録している。

志乃の世界では、これが“ごちそう”。
音を“聴く”のではなく、“舌鼓を打つ”かのように。
俺は隣で、なるべく自然に“無音”を装いつつ、横目で彼女を盗み見る。
鼻先まで赤くなってるとか、頬がほんのりそよいでるとか、
志乃の筆記に繋がる「俺」のリアクションにも、彼女の視線は向いているはず──と思いたい。

彼女が開いたノート、そのページには冷静な筆致で“俺の行動ログ”が並ぶ。
──《09:41 左足が微振動。周期1.7秒》
──《09:42 軽い咳。乾燥気味。ミスト推奨》
──《09:43 シャーペンから万年筆へ。心情の切り替え?》
──《09:44 “ふっ”としそうだった。未遂。惜しい》。

惜しいって、なんだよ。
お前、天才的音フェチかよ。
俺の存在を“音”として採点されてるみたいで、背筋が熱い。

志乃愛用の備えは、淡紫色インクの万年筆。
ボディには淡い蒼光も見える。香り付きインクって、どうよ。
もはやこれは“観察ノート”ではなく、感覚ごと撫でられているような──。

「……ねぇ、空也くん」
突然、彼女の声が届く。正確には、声の“気配”が。
微かな息づかいみたいで、教室の静寂にしのび込んできた。

俺の背筋がピンと伸びる音も、どうせ気づかれてるだろうな。

「今日の鉛筆の音、昨日より優しかった。
 もしかしてね……少し、心が落ち着いてる?」

胸がドクン、と跳ねた。
志乃はどこまで“音”で俺を診ようとしてるんだ。

「志乃は音のどこまで聴けるの?マイクでも使ってんの?」
そんなこと口が裂けても聞けない。
だって、そこに答えがあるなら、俺をそんな“音記録”して欲しい気もしてる。

「分かるんだよ。
 空也くんの“音”、感情ごと読めるから」
頬が次第に赤くなる志乃が、耳障りなく笑った。
その笑顔が、教室の照明に薄く照らされて、小動物の脚のように弱々しいのに、胸を責めてくる。

「数学の話、聞いてる…?」
俺が問い返す。
「ううん、全然。今日は“空也観察”の回なの」
きっぱり答える彼女に、俺は二度見したい衝動を抑える。

ノートをスッと捲る音。
その音さえ、映像作品だったらオフボーカル音トラックで使えると思うくらい、透明感がある。

現れたのは、グラフと文字、そして濃い紫のライン。
《空也くんの“ため息”周波数と感情相関図》──とタイトルがある。

「ここ。9:37ぐらいが“今日いちばん尊いゾーン”。
 空也くん、ちょうど深呼吸したでしょ?」

「そういう分析、やめてくれ」
と、俺は声を殺して笑う。
でも、志乃は至って真顔で、くすっと微笑む。
その表情に困惑すると同時に、なんだか、ほっとした。

そして彼女は、わずかに身体を乗り出してペンを取り…差し出してくる。
その動作は、まるで祝福の儀式みたいに見えた。

「これ、今日使ってみて。万年筆…とても、いい“音”がするから」
インクの香りがふわり。俺は震える手でそれを受け取る。
ただの筆記具なのに、温度も湿度も感じるような…
まるで、志乃自身の一部を持たされたかのような、不思議な結合感。

チャイムが鳴る──。
教室全体に解放の気配が走る。
でも、志乃はまだ俺に囁いた。

「……今日の“静けさ”、ほんとに、きれいだった」

一言だけ。
しかし、ディレイのかかった魔法みたいに、俺の胸には長く響いた。

佐々木空也(16)。
人間として“授業”という舞台には乗っているつもりだった。
でも、まぎれもなく──
霧島志乃に、“聴かれている”。

3限目。数学。
教室に静寂が満ちる時間帯。
チョークが黒板を走る音、ページをめくる音、筆記音……
そのすべてが、霧島志乃にとっての“ごちそう”らしい。

俺は何も見ていないフリで、隣の席の志乃を観察する。

彼女は、今日もノートを開いている。

だが、そこに記されているのは授業内容ではない。
俺の行動と“発音情報”だ。

《09:41 空也くん、左足を1.7秒周期で揺らす》
《09:42 咳1回。ノド乾燥気味。加湿提案》
《09:43 シャーペン→万年筆に持ち替えた理由:感情変化?》
《09:44 “ふっ”と笑う未遂。音にはならず。惜しい》

惜しいて。
お前は何を目指しているんだ。

しかも彼女のペン先は、妙に優雅な万年筆。
インクの色は淡い紫。香り付き。
もはや記録というより、愛の手紙の下書きにしか見えない。

「……ねぇ、空也くん」
志乃が小声でささやいた。

俺の背筋がピン、と反応する。

「今日の鉛筆の音、少し優しかった。
 もしかして……昨日より、心が落ち着いてる?」

当たりすぎて怖い。

てかお前はどこの音診断士なんだ。

「わかるよ。空也くんの音、もうだいたい、読めるから」
しのは照れくさそうに笑った。

その顔がとんでもなく可愛いのに、内容はとんでもなくおかしい。

「数学の内容、聞いてる?」
「ううん、全然。今日は“空也観察”の回だから」

俺は言葉を失う。
こっちはxとyの関係で悩んでるのに、
彼女は俺と音の関係に没頭している。

ふと、彼女がページをめくった。

そこには手書きのグラフがあった。
タイトル:《空也くんの“ため息”周波数と感情相関図》

「このあたり、今日イチの“尊さ”ゾーンなんだよ。9:37頃」

「分析すんな」

志乃はくすっと笑ったあと、俺に万年筆を差し出した。

「これ、今日使ってみて。
 音が……とても、いいから」

俺は震える指でそれを受け取る。

ただの筆記用具のはずなのに、少しだけ息が合ったような気がした。

授業が終わったチャイムが鳴った瞬間、
彼女はひとことだけ呟いた。

「今日も素敵だったよ、空也くんの“静けさ”。」

佐々木空也(16)、人間のふりをして、授業中に“聴かれている”。
→画像情報ページへ
最大化 | アクセス解析 | ユーザ情報

メッセージ送信
▽この画像のURL(リンクについて)▽


▽この画像のトラックバックURL▽(トラックバックについて)


情報提供