投稿日時 2025-06-19 19:59:06 投稿者 ![]() 斎賀久遠 このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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第十三話:「音を喰む」 昼休み。 教室には弁当の匂いと、箸の音、笑い声が飛び交っていた。 俺、佐々木空也は、弁当を開けている最中だった。 隣の席では、霧島志乃が俺の水筒の蓋を開けていた。 もう当然のように。 「ふむ……今日はレモン水? 昨日のより硬水寄り……声が引っかかりそう」 「……なんで分かるの」 「喉の鳴りが1トーン上がった。 あと、空也くんの水筒、最近開けるとき“キュッ”って鳴らないんだよね。 パッキン劣化?」 「お前、音の呪いかよ」 そんな会話をしていた矢先── 斜め後ろの席から、微妙な空気をまとった声が聞こえた。 「……ねえ、聞いた? 霧島さん、前の学校でヤバいことしてたって」 その声に、別の女子が反応する。 「うん。うちの姉が前の学校の近くだったって……“音、集めてる子”って有名だったらしいよ」 「先生の声、録音してたんだって。しかも、夜中の……」 「しかもね、録音だけじゃないらしい。“分析”してたって。寝息のリズムでストレスとか、咀嚼音で体調とか」 「うわ……マジのやつじゃん……」 女子の視線が、こっそりこちらを刺す。 それでも彼女は、何事もなかったかのように俺の弁当をじっと見ていた。 たぶん、箸の持ち方か咀嚼テンポの観察だろう。 無言のまま。笑顔もなし。ただ“聴いて”いた。 「ねえ、それ録音されてない? 佐々木(空也)くん」 ──クラスメートの声に、周囲の空気が一気に冷える。 「いや、霧島(志乃)さん、カバンにチューナーついてるって話だよ?」 「ほんとだ。なんかピカッて……え、録ってる……?」 「先生にも言ったほうがよくない?」 「無理無理無理、私もう無理……」 ざわつく教室の中心で、俺だけが凍っていた。 いや、違う──“俺を中心にして”世界がざわついていた。 そのときだった。 志乃が、ふっと顔を上げた。 「録音中だから、静かにして……ノイズが入るの、嫌いなの」 その一言は、怒鳴り声でもなく、お願いでもなく。 ただの“観察者の報告”だった。 だが、教室全体が一瞬で沈黙した。 音が、止まった。 笑い声も、箸の音も、ヒソヒソ話も。 まるで録音機器の前で、誰もが勝手に“録られる側”に回ったように。 志乃は何も言わず、ふたたび俺の弁当をじっと見つめた。 その目は、口をつける瞬間を待つ、マイクのようだった。 ******** それから数時間後、放課後。 俺のスマホに通知が届いた。 【匿名共有:霧島志乃 音声ファイル(旧校舎)】 送信者不明。内容不明。開くべきか、迷った。 けれど、開いてしまった。怖いもの見たさ……というより、“志乃を知りたかった”。 音声ファイルは、三つ。 03_教員室_夜.wav 07_更衣室_独り言.mp3 09_授業中_窓際_観察記録.m4a 俺は一つ、再生した。 ──ノイズ混じりの空間音。 風の音。壁時計の秒針の音。そして── 『……今日もまた、同じ靴の音。0.73秒周期。疲れてる? それとも……悩んでる?』 『声に“ト”の子音が強く出てた。怒ってるときの癖だよ、それ』 志乃の声だった。 静かで、耳に張り付くような……感情のない声。 だが恐ろしいのは、その声じゃない。 分析内容の精度だった。 歩くテンポと着地音の左右差から、片足の痛みを推測 小さな咳と呼吸音から、精神的疲労を指摘 声の高さの波形で、緊張と怒りを判別 「……これ、人間がする観察か?」 息を呑んだそのときだった。 俺の背後から、すっと音が消えた。 ……いや、音だけじゃない。 気配も、空気も、温度も──何かが、俺を“包んだ”。 肩ごと、首ごと、誰かの腕に拘束される。 まるで格闘技のようなスムーズさ。抵抗する間もない。 「誰だ!?」って声も出なかった。 恐怖で、声帯が“ミュート”された。 だが、鼻先にふっと香る匂い。 柑橘系とラベンダー、少しミルキー。 それは──志乃のシャンプーの匂いだった。 ……あ。 安心してんじゃねえよ俺。 でも、あの香りを嗅いだ瞬間、脳内の何かがバグった。 志乃だったらいいや、っていうかむしろ志乃じゃなかったら困る、っていうか、 好き。 「空也くん……呼吸止めたね。すごく綺麗な静寂。この音、好き」 背中に静かに語りかけるその声に、俺の脳がバグる。 「おい、志乃……あの録音、あれは一体……」 「うん、好きな音だけ残したの。誰にも気づかれなかった音。だから愛おしいの」 「……でも、あれはちょっと怖かったぞ。盗聴みたいで……」 「ふふ、でも空也くん、匂いで私って気が付いたんしょ?嬉しいな」 俺の心臓がバクバク言ってる、絶対に志乃にバレてる。 そして志乃は、少し身を寄せながら、ささやくように言った。 「ねえ……すごいドキドキしてるよ。今の鼓動、すごくはやい。 高音に跳ねて、リズムが乱れてる」 ──そして、志乃はさらに耳元で、ほとんど吐息のように囁いた。 「……もしかして、好きってバレちゃう音だった?」 俺の背中に、ゾワッと鳥肌が立った。 同時に、耳まで真っ赤になった気がする。 「ねえ……私、音のことになると、自分でもわからなくなるの。 どこまで拾って、どこまで踏み込んで……どこから、壊しちゃうか」 その時、俺を拘束する志乃の腕に力が入った。 「……ねえ、空也くん。わかってくれるよね?」 背筋がひやりとした。 心臓の音がまた、跳ねた。 |
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