投稿日時 2025-07-06 13:57:41 投稿者 ![]() 斎賀久遠 このユーザのマイページへ お気に入りユーザ登録 |
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◆ 第19話「夏が、静かに来た」 蝉の声が、朝からうるさかった。 終業式が終わった教室は、どこか妙に浮かれていた。 プリントを配り終えた担任の「じゃあ良い夏を!」の一言を合図に、生徒たちが一斉に立ち上がる。 その中で、ひときわ目立っていたのが、やっぱり志乃だった。 整った顔立ちに、涼しげな表情。 この異常事態の中でも、彼女は相変わらず“美人”だった。 「ねえ霧島さん、夏休みの旅行、一緒にどう?」 声をかけたのは、クラスの中でも行動派の女子――明美だった。 「海の近くのペンション、貸し切ったんだって。人数集めててさ」 志乃は一瞬、空也の方をちらりと見た。 「……空也くんは、行くの?」 「えっ、俺?」 「うん。空也君が行くなら、私も行く」 その瞬間、周囲の空気が微妙にざわついた。 「……じゃあ、予約入れとくね?」と明美。 でも彼女の目は、志乃を笑顔で見ながらも、どこか引きつっていた。 (明美……なにか気づいてるのか?) 遠足のとき、バスで無理やり起こされたこと。 それから、少しずつ……志乃の“異常さ”に。 そして今回の旅行は、明美にとっても“何かを確かめる機会”なのかもしれなかった。 俺は、返事をしなかった。 けれどそのとき、志乃が微かに笑った気がした。 まるで、すでに俺が“行くこと”を知っているかのように。 ◆ ◆ ◆ 放課後、帰り支度をしていると、明美が俺の席の前に立った。 「ねえ、佐々木くん。ちょっと、いい?」 珍しいことに、彼女は真剣な顔をしていた。 廊下に出ると、周囲に誰もいないのを確認して、明美は小さな声で切り出した。 「……霧島さんってさ、いつからあんな感じだったっけ?」 「え?」 「最初は、ただちょっと浮いた子なのかなって思ってた。でもさ、神城くんが声かけるようになってから……空気が変わったよね?」 確かに、あの日から空気は変わった。 志乃と俺はもともと、奇妙な距離感で、それなりに“仲良く”やっていた。 けれど、レンが“霧島に声をかけた男子”として注目されてから……何かが、決定的にズレた気がした。 そのあとに起きたことを思えば、あれが“最初のスイッチ”だったのかもしれない。 「私、怖いんだよ。あの子、普通じゃない。声に、なんか……変な執着があるっていうか」 「……」 「ねえ、佐々木くん。君、何か気づいてるよね?」 明美の声が、ほんの少しだけ震えていた。 俺は、視線を逸らしたまま、何も言えなかった。 けれど、そのまま終わらせるわけにはいかなかった。 「……明美、ここじゃないほうがいい。もしかしたら、もう聞かれてるかも」 「……は?」 「志乃は、音を“聞いてる”んだ。いつも。どこで、何を話しても──届いてるかもしれない」 明美の表情が固まった。 「だったら……旅行の前に、どこかで会えない? 二人だけで」 俺は思わず明美の顔を見る。 その目には、恐怖と、決意が混ざっていた。 「今はまだ、証拠も確信もない。でも──何か、おかしいのは確かだから」 ◆ ◆ ◆ 昇降口を出たところで、志乃が待っていた。 「空也くん、一緒に帰ろ」 「……あ、うん」 強い日差しの中を抜けて校門を出ると、通学路はすぐに古びた街並みに変わった。 細い舗装の道沿いに、年季の入った木造の家屋が並んでいる。 剥げたトタン屋根、軒下に吊るされた風鈴、ガラス戸に貼られた色褪せたチラシ。 どこか懐かしくて、でも今の季節には似合いすぎるくらい蝉の声が響いていた。 志乃はそんな街並みを、ゆっくり眺めながら歩く。 「……いい音だね」 「え?」 「蝉の声。ほら、反響してる」 確かに、古い建物が両脇に立つこの通りでは、蝉時雨が壁にぶつかって跳ね返るように響いていた。 「……暑いだけだと思ってた」 「ううん。こういうのが、夏って感じだよ」 志乃は笑った。 その笑顔があまりにも自然で、ちょっとだけドキッとした。 でも、すぐにまた黙って歩き出す。 蝉の声と、二人分の足音だけが、長い路地に続いていく。 しばらく歩いてから、志乃がぽつりとつぶやいた。 「明日から夏休み、だね」 「うん。やっと、だよ」 「でも……ちょっとだけ、さみしい気もする」 志乃は歩きながら、ぽつりとつぶやいた。 「え、どうして?」 「学校って、音がいっぱいあるから。空也くんの声も、毎日聴けてたし」 「いや、俺の声はそんな高性能じゃないぞ? 多分、AIスピーカーの方が優秀だと思う」 「ふふ、それでも……私の好きな音だよ」 「……それ、普通に言うことか?」 「うん。だって、今日で聴き納めかもしれないし」 「いやいや、やめてくれよ。なんか死亡フラグみたいじゃん」 「ううん、違うよ。音の記憶って、すごく鮮明に残るの。だから、また会える」 そう言って、志乃はふと立ち止まった。 「……空也くん、今日はありがとう」 「え? な、なにが?」 「一緒に帰ってくれて」 そう微笑む志乃の顔が、あまりにも自然で。 あまりにも可愛くて。 そして、どこか……ゾッとするほど、作り物のようだった。 ◆ ◆ ◆ ──その日の夜。 風呂から上がってスマホを見ると、通知が一件。 《明美:夏休み、どっか行こうって言ってたやつ、空いてる日を教えてー!》 《あと、ちょっと話したいことあるし》 続けて、にこっと笑うスタンプ。 なんてことない、普通のやりとりのはずなのに。 どこか、引っかかった。 「……話したいこと?」 明美が、そんな言い方をするのは珍しい。 いつもは思ったことをその場でズバズバ言うタイプだ。 ──いや、深く考えすぎか。 スタンプで返事を打って、スマホを伏せる。 レモン水の残りを一口飲んで、ベッドに転がった。 そのとき、かすかに聞こえた気がした。 ──“カチ、カチ……”と、水筒のフタが閉まるような音が。 「……まさか」 部屋には俺ひとり。 でも、耳だけが、どこか別の場所と繋がってるような──そんな気がした。 そして俺は、まだ気づいていなかった。 あの“音”が、志乃の“答え”だったことに。 ──この時の俺は、まだ、霧島志乃のことを甘く見ていた。 |
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