タイトル | 「最前線に一番弱い俺がいる」 | ||||
タグ | *ファンタジー *ラノベ | ||||
コメント | 第三話:「檻の中の裁き」 聖堂の奥、地下深く。 司教グラディウスは重厚な扉を潜り抜け、自らの研究所――“神の工房”へと至る重い空気を割って進んだ。 古ぼけた聖書と並ぶ、魔族の秘伝書。 生体実験の記録、魔術陣の上を這う奇怪な紋様。 石壁の隙間からは、祈りとも呻きともつかぬ声が漏れている。 部屋の隅で黒衣の助手が小声で報告した。 「……司教様、リシア様の一行はいまだ消息不明との報が。依然として帰還報告はありません」 グラディウスは口元に薄い笑みを浮かべる。 「“奇跡の勇者”……それも所詮、上層部の看板に過ぎんよ。リシアが象徴した“加護”も、“神の意志”も、いずれ色褪せる。」 助手は、それでもと食い下がる。 「ですが、民衆の信仰はいまだ……」 「愚かなものだ」 グラディウスは一度だけ肩をすくめ、机の上に目を落とす。 「与えられた偶像に群がるだけの“信仰”など、何度でもすげ替えられる。……本物を見せればな」 助手はわずかに息をのむ。 「“本物”、ですか?」 グラディウスは机に置かれた融合データや、クロードの魔力波形に手をやる。 「そうだ。“神”も“悪魔”も、我々が作り出す。……時代の求める象徴を、この手で生み出してやる」 「つまり、融合体こそ――」 助手の言葉を、彼は鋭く遮った。 「そうだ。リシアはもう用済みだ。これからは、創られた神が、信仰を喰らう」 グラディウスの瞳には、微かに狂気じみた光が宿っていた。 助手は沈黙し、グラディウスの狂気じみた確信に気圧される。 グラディウスは冷たい微笑を浮かべる。 「“奇跡”の舞台は終わった。 次は“新たな神話”の時代だ――我々の手でな。」 その言葉が静かに室内に響いた直後、 廊下の奥から新たな足音が駆け寄ってくる。 扉が勢いよく開き、別の助手が顔色を変えて飛び込んできた。 「司教様、失礼します――報告が!」 グラディウスは顔を上げ、手元の魔力波形グラフから視線を外す。 「何事だ。」 「先ほど……掲示板に指名手配が出されていた“赤髪の女”――レティ=ヴェルメイユを拘束しました。」 「……バルナスを退けたというあの女か?」 「はい。しかし、不可解な点がありまして……」 助手は一瞬、戸惑いを見せる。 「抵抗らしい抵抗もなく、兵士の制止に素直に従ったとのことです。」 グラディウスはしばし黙り込み、瞳に薄い光を宿す。 「……バルナスを打ち倒した女が、あっさりと投降した?」 「まさにその通りです。本人かどうか、念のため確認を――」 グラディウスは机上の結晶盤に手をかざし、低く命じた。 「ならば、“試験体”を向かわせろ。」 助手の顔色がわずかに変わる。 「……あの、“看守”を本当に解き放つのですか。前回も、囚人二名が――」 怯えを隠せない声が空気を震わせる。 だがグラディウスは無感情に手を振り、話を遮った。 「問題ない。失敗作にはせめて“役目”を与えねばな。」 助手は記録紙を指でたどり、さらに声を落とす。 「……隔離房の死体も、原型を留めぬ有様で。 男も女も関係なく、“衝動”が抑えきれないようで……」 グラディウスは冷たく口元を歪める。 「それでこそ“融合”の片鱗。理性より本能が勝るということだ。」 助手は小さくためらい、言い淀む。 「ですが、もし制御を失えば……」 「制御できなければ、次の試料を使えばいいだけだ」 冷ややかな声音がそれを押しつぶす。 「……さて、赤髪の女には“正体”を見せてもらおう。」 グラディウスの言葉が静かに部屋に落ちた。 その場に重苦しい沈黙が広がる。 やがて、遠くで鈍い振動音が響き始めた。地下を巡る冷たい空気の中に、何か巨大なものが動き出した気配が混じる。 試験体の収容房では、鎖が引きずられる音とともに、異形の巨体がゆっくりと立ち上がる。 解除の合図を受けた衛兵が無言でレバーを倒し、重々しい扉が開かれた。 その瞬間、廊下の奥から獣の唸り声がこだまし―― 人の形を保ちながらも、人を捨てた怪物が、レティの待つ独房へと歩み出した。 重たい鉄扉が、奥の廊下で軋んだ。 そこに佇むのは、人間の枠を逸脱した巨体――脂肪と筋肉の塊に縫合痕が這い、剥き出しの歯で低く唸る実験体だった。 試験体の肩は、扉に触れただけで金属を軋ませ、無造作に垂れた腕には常人の頭ほどの太さがある。 助手は唾を飲み込む。 「準備ができています、司教様。……独房までの経路は封鎖しました。」 グラディウスは一瞥をくれると、わずかに顎を引いた。 「よろしい。――“獣”を檻から出せ。 “英雄”を名乗る女の真価、じっくり見せてもらおう。」 試験体は指示を待つことなく、解放されるや否や空腹と欲望のまま独房へと進む。 すれ違う看視兵ですら距離を取り、奥の囚人たちは気配を察して身を縮めた。 狭い石の廊下に、異様な熱気と獣臭が満ちる。背後で助手が、低く囁く。 「あの化け物が暴れれば、牢ごと潰しかねません……」 グラディウスは気にも留めず、部屋の奥から淡々と告げる。 「その程度で壊れる牢なら、いずれ用はない。」 独房の前、試験体はぬらりと扉を撫でるように手を這わせる。 太い舌で唇を濡らし、息を荒げた。 理性の残滓は、もはやどこにもない。 扉が解錠される音が、沈黙を裂いた。 石壁の向こうから、重い呼吸と獣じみた唸りが近づいてくる。 レティは背筋に冷たい汗が流れるのを感じながら、無言で立ち上がった。 扉の鉄格子越しに見えたのは、人間の枠を逸脱した異様な腕。 分厚い指が、まるで意思を持った生き物のように鉄をなぞっている。 (――何よ、あれ……) 怪物、としか呼べない存在だった。 脂肪と筋肉が不自然に膨れ上がり、全身を縫い合わせたような傷が走っている。 剥き出しの歯が光り、唸り声が独房の中に不快な振動を響かせた。 レティは直感的に理解した。 これが“人間”であったものなら、とうにその名残は捨てている。 怪物の太い舌が唇をなめ、息を荒げる。 次の瞬間、錠前の外れる乾いた音が響き―― 扉がゆっくり、だが有無を言わせぬ力強さで押し開かれる。 怪物は檻の中へと、飢えた獣のごとく足を踏み入れてきた。 怪物は、明らかに「何かを喰らいたい」という本能だけで動いている。 床板が軋み、空気が濁る。 他の囚人たちは、遠くで恐怖に震えて息を潜めるしかなかった。 怪物の口角から涎が糸を引き、肩で息をしながら、まっすぐにレティへとにじり寄る。 レティは一歩も引かず、静かに目を細めた。 「……なるほど。“お手並み拝見”ってこと?」 怪物は返事をすることなく、獲物を前にした猛獣のように、ただ低く呻く。 そして次の瞬間、檻の空気が切り裂かれた―― 巨体が突進し、床石ごと独房が軋む。 レティは身を沈め、静かに――しかし鋭い殺意をその瞳に宿らせた。 (――こいつ、普通の人間じゃない。) 血と暴力と本能がぶつかる静寂の中、 レティは、ただ真っ直ぐに融合体を睨み返した。 怪物――いや、異形の巨体の突進に、レティは一歩も退かずその動きを凝視した。 武器はない。頼れるのは自分の身体と、研ぎ澄まされた感覚だけ。 巨腕がうなりを上げて振り下ろされる。 レティは紙一重でかわし、怪物の膝関節の内側へと滑り込む。 素手で脛の腱を捻り、膝を逆関節に極める。 “膝は外からの衝撃よりも、内側からの力に弱い”―― そう判断した瞬間、巨体がバランスを崩して膝をつく。 次の瞬間、レティはしなやかに身体を反転させ、 怪物の太い首に両足を巻きつける。 首の骨の位置を正確に感じ取り、力のベクトルを一点に集中―― 捻る、締める、折る。 “呼吸を奪い、神経を断つ” 骨が鈍く砕ける音がした。 ――これで終わり。 レティは確信していた。 首をへし折られた人間が動けるはずがない。 崩れ落ちた怪物は、まるで役目を終えた人形のように動かない。 レティはわずかに肩で息をしながら、それでも油断なく距離を詰める。 (……終わった?) そう思った瞬間だった。 「……た、すけて……」 低く、かすれた声が石牢に響く。 倒れた怪物の口が、わずかに動いた。 目が合った。 その瞳には、先ほどまでの獣の光ではない、 どこか――人間の、苦しみに満ちた色が宿っていた。 「……喋った……?」 レティの足が、わずかに止まる。 鋭く見開かれたその目に、一瞬だけ“戦士”ではなく、“人間”の動揺が浮かぶ。 その一瞬が命取りだった。 ぶら下がっていたはずの巨腕が、 理性の声とは無関係に、 獣のような唸り声とともに振り上がる。 「――っ!」 気づいた時にはもう遅い。 拳が、風を裂いてレティの胴を打ち抜いた。 壁際まで吹き飛ばされた身体が鈍く音を立てて石に叩きつけられ、 空気が一気に肺から抜ける。視界が跳ね、喉が痙攣した。 「な……っ、んで……!」 レティが血を吐きながら顔を上げたその先、 怪物は呻きながら、床に手をついてゆっくりと立ち上がっていた。 「……やめてくれ……俺じゃ、ない……」 口元から血と涙を混ぜたような液体が垂れ、 理性と本能がせめぎ合うように、巨体は身を震わせる。 だが、動くのは理性ではなかった。 怪物の腕が、再びレティを求めて持ち上がる。 “喋っている”にも関わらず、 その身体は、完全に獲物を喰らう意志で動いていた。 レティは、歯を食いしばった。 (――あの目……あれでも、まだ“人間”なんだ) だが、目の前にあるのは、確実に“怪物”だった。 血と本能と理性の狭間で、 崩れ落ちたはずの“人間”が、 もう一度レティへと拳を伸ばす。 鉄格子越しに、グラディウスは静かに腕を組み、 “赤髪の女”と融合体の攻防を淡々と見守っていた。 助手「あの女、試験体の首を、折りましたよ……!」 驚きと恐怖がない交ぜになった声に、グラディウスは微動だにしない。 「……人間の枠を超えているな。だが――」 独房の壁際まで吹き飛んだレティの身体は、ピクリとも動かない。 グラディウスはその一部始終を、 まるで研究材料の異常反応でも観察するような眼差しで見ていた。 「……なるほど。首を折られたら試験体の自意識が戻ったか。だが体は意識の支配下にないとは興味深い」 気を失ったレティを、試験体の歪んだ腕が捕まえようとする。 助手が慌てて声を上げる。 「司教様、止めないと――!」 グラディウスは何の感情も見せず、 静かに呪文を紡ぎ、指先で淡い印を結ぶ。 囁くような魔術の音が空気を震わせた。 すると怪物の巨体が、まるで糸が切れた操り人形のように、 その場で膝から崩れ落ちる。 ぶるぶると小刻みに痙攣しながら、やがて静かに沈黙した。 グラディウスは床に横たわるレティを見つめたまま、低く呟く。 「……素手で、試験体の首を折るとは。 この女、本物かもしれんな。」 助手「女の息はまだあるようです、処分を――」 「待て。 もしこれが“本物”なら、殺すには惜しい。 魔族の虫と融合する者を利用するのに使えるやもしれん。 拘束を強化しろ――目を離すな。」 淡々と命じ、グラディウスは再び手元の魔術結晶を操作する。 その瞳には、獲物を値踏みする冷たい光が宿っていた。 |
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iコード | i969629 | 掲載日 | 2025年 05月 28日 (水) 14時 35分 03秒 | ||
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